ぴんぷくの限界オタク日記

オタク向け作品の感想やメモ

It's MyGO感想、無色でもそこにあるもの

BanG Dream it’s my go見ました。

想像していたよりも遥かに面白かったです。

バンドリシリーズは前からかなり面白いと思っていて、アニメはリアルタイムで全部追ってます。しかし3期が終わった辺りから雲行きが怪しくなって来てもうやる事ないんじゃないかなーと感じてたんですけど、ここにきて凄いのが来ましたね。

 

まずトモリの歌声が凄いです。なんて言ったらいいんですかね、迷い声?

とにかく世界観にピッタリなんですよね。

中でもよかったのは「迷うことを迷わない」っていう謎の謡い文句を回収する12話の迷路日々です。この曲を聴けばこの言葉の意味がよくわかります。

 

この回はかなりよかったです。このシーンの為だけでもこのアニメを観る価値はあると思います。

 

あと個人的にはアノソヨの絡みが好きですね。

アノンが好き勝手やってくるのにソヨがマジトーンでキレてるシーンはどれも面白くて何回も観たくなります。

 

という訳で今回はmy goの感想を書こうと思います。その為にはそもそもバンドリシリーズとはなんだったのか?という話からしなければなりません。

 

・バンドリ全体のテーマ

バンドリシリーズは「結果よりも大事なこと」 について考えさせられる物語だと思っています。

バンドリという物語は基本的に全て、結果に囚われている少女たちが少しずつその呪縛から解放されて行く物語です。

1期では、香澄の結果を顧みない行動力に周りが影響を受けて、ポピパメンバーが踏み出せなかった一歩を踏み出していくストーリーでした。

特におたえとりみりんはわかりやすく香澄に背中を押されて一歩を踏み出せたキャラクターなので説明不要でしょう。しかし有咲と沙綾は少しわかりにくいので説明します。

まず有咲ですが、有咲は学年トップの頭の良さです。その所為で友達がおらず不登校でした。そこへバカ丸出しの香澄が現れて散々振り回される訳ですが、振り回されていくうちに有咲はバカな香澄との時間に価値を見出せるようになっていきます。

これは有咲が「結果よりも大事なこと」を見つけたからだと言えます。

 

次に沙綾ですが、沙綾がポピパに入ろうとしなかった理由は母親の代わりに家事をしなければならなかったからです。家事をしながらではバンドの足を引っ張るだけだし、それなら他の人がやった方がバンドにとって有意義だろうと考えていました。しかしポピパのメンバーはどんなに足を引っ張られようとも沙綾とバンドをやる事に価値を見出している事がわかり沙綾はポピパに加入することになります。

これは「バンドにとっての最善」という結果よりも大事なことがあったからだと言えるでしょう。

 

その後の話も全て「結果よりも大事なこと」というテーマで一貫しています。

中でも最も象徴的なのはスペースのオーナーの「やりきったかい? 」というセリフです。

ポイントなのはオーナーはバンドを採用する時、音楽のクオリティよりもベストを尽くしたかどうかを見ています。これはオーナーが「 結果よりも大事なこと」を重視している事を意味します。( これが最終的に3期のガールズバンドパーティ決勝でオーナーが3チーム全員に同等の賞を渡した理由にもなっています。)

 

そして2期ではおたえが結果と向き合ったことで結果よりも大事なことの重要性を再確認します。さらに3期ではチュチュが結果の呪縛から少しずつ解放されていく話になって行く訳です。

 

このようにバンドリはあらゆるところで「結果よりも大事なこと」 について考えさせられるような作りになっており、かなり一貫したテーマを持った作品です。

 

ここで注目したいのがこのバンドリのテーマはラブライブと非常によく似たテーマであるということです。

 

「結果よりも大事なこと」とは「過程の重要性」 とも言い換えることができます。

 

ラブライブのテーマが過程の重要性であるという話は過去に書いたことがあるので詳しくはこちらを参照してください。↓

虹ヶ咲のテーマと8話の問題点について - ぴんぷくの限界オタク日記

 

簡単に説明すると、ラブライブの特徴はアイドルではなくスクールアイドルに拘るという事です。

だからラブライブはシリーズ毎に卒業や廃校という終わりが存在します。ラブライブは終わることを前提として、その過程にどんな価値があったのか?ということを考える「 過程の重要性」についての話な訳です。

中でも最も象徴的だったのサンシャインでしょう。サンシャインでは無印と違って廃校を救えません。しかし廃校を阻止しようと頑張った彼女達の行いは果たして意味がなかったと言えるでしょうか?
私は彼女たちが残した軌跡には大きな意味があったと思います。これが「過程の重要性」を描くラブライブのテーマです。

そしてこれは「結果よりも大事なこと」とも言い換えられる訳です。

 

・My goのテーマ

バンドリとラブライブのテーマの話をしたところでようやくmy goの話をしましょう。

My goもバンドリ共通の「結果よりも大事なこと」という大きなテーマに則った物語になっています。しかしMy goではこれまでバンドリシリーズとは大きく違う点があります。

 

my goではポピパやラスの時とは打って変わって、メンバー間で誰も目的を共有出来ていません。

アノン→目立ちたい

トモリ→バンドはしたが辛い思いはしたくない

タキ→トモリの歌を高い完成度で演奏したい

ソヨ→ crychicを復活させたい

ラーナ→おもしれー女とギターを弾きたい

 

という有様です。

トモリは昔ファーストライブを最後に解散した過去にビビッて歌えない。

アノンは目立ちたいだけでギターは初心者だから全然ついて行けてない。

その所為でタキは下手くそアノンにブチ切れる。

ソヨはcrychicのメンバーの一人がもう戻らないと知って途中でグレる。

ラーナは演奏以外に興味がない。

 

この状態でファーストライブまで駆け抜けた訳ですが結果は見ての通りです。誰の目的も達成されないままファーストライブ後にバラバラになって解散状態となりました。流石に原因を振り返るまでもありませんが、かなりに重要なので一応確認しておきましょう。

このバンドではメンバー間で目的が共有できていません。その上で誰も目的を諦めないので、結果として誰も目的を達成できません。目的を達成できないからバンドを続ける意味がないので解散、という具合です。

 

しかしそんな状況になっても再びチームは集まります。

ここでポイントなのは再び集まったのに、相変わらず目的は共有出来ていないところです。

目的が共有できていないということは、再び集まった所で結局誰かの目的が達成される事はない事になります。

では何故彼女達は目的が達成できないのにバンドを続ける事になったのでしょうか?

それはこのバンドに「目的とは別の何か」という価値を見出したからではないでしょうか?

これは「結果よりも大事なこと」を彼女達がmy goと言う居場所に感じたからだと言えます。

これが「迷子でもいい」「迷子でも進め」という言葉の意味だと思います。

このように my goではバンドリの3期までとは少し違った視点から描くことで、メンバー間で目的が共有できていなくても「 結果よりも大事なこと」(過程の重要性)というテーマが有効なことを示したことになります。

そしてこれは虹ヶ咲の別解答でもあるんですよね。

実はmy goのテーマは虹ヶ咲のテーマとよく似ています。

虹ヶ咲の詳しい感想は以前「主体性と社会性のジレンマ」 みたいな視点で書いたことがあるので、 気になる方はこちらに詳しく書いてあります。

虹ヶ咲の描く主体性と社会性のジレンマ - ぴんぷくの限界オタク日記

 

虹ヶ咲がなんだったのかについてはちゃんと説明すると長くなりすぎるので、簡単にだけ触れます。

虹ヶ咲のスクールアイドル同好会では「ラブライブに出場する」という目的で練習していたのですが蓋を開けてみれば本気でラブライブを目指していたのはセツナしかいませんでした。その所為で無意味にハードな練習をメンバーに押し付けてしまっていた事に気がつきます。そこでセツナはメンバーに迷惑をかけない為にチームを解散します 。

ここから虹ヶ咲の物語は始まる訳ですが、注目して欲しいのは虹ヶ咲が抱えている問題とmy goが抱えている問題は非常によく似ている所です。

 

虹ヶ咲もまた、my goと同様に「メンバー間で目的を共有できていない」という問題について向き合った作品ということになります。

 

ここで面白いのは、この「目的を共有出来ていない」という問題に対する解決方法が真逆である所です。

 

虹ヶ咲ではこの問題に対する解決方法として「目的の破棄」という手段を取ります。

今でもユウの「じゃあラブライブなんて目指さなくていい」というセリフは記憶に新しいです。

虹ヶ咲ではメンバーに迷惑をかけず、尚且つスクールアイドルも続ける為に「 ラブライブに出る」という目的そのものを切り捨てます。

これによって「目的は特にないけどスクールアイドル活動をする」という訳の分からない状況を肯定したことによって同好会を存続させます。虹ヶ咲が凄いのは、この「目的を切り捨てる」という通常ではあり得ない選択を取るところです。

この背景には、ラブライブ共通のテーマである「過程の重要性」がある訳です。

 

このように虹ヶ咲とmy goでは、どちらの目的もいずれ消滅し、過程の重要性が残って行くという意味では同じですが、手段が違います。

my goでは「目的を破棄」するのではなく「目的を破綻」させています。

この「目的の破綻」とは言い換えると「結果はどうであってもやり切る」という事でもあります。

(これはオーナーの言葉がそのまま虹ヶ咲との違いになっているとも言えます)

 

My goでは虹ヶ咲と違って誰かが目的を切り捨てたりしません。これによって誰の目的も達成されないまま全員の目的が破綻することになります。

これによって「目的は破綻しているけどバンドはやる」というこれまた訳の分からない状況を肯定してバンドを存続させます。

 

このようにmy goと虹ヶ咲では「結果よりも大事なこと」=「過程の重要性」という共通したテーマを描いているにも関わらず、その手段が真逆になっているという関係性にある所が非常に面白いです。

これがmy goは虹ヶ咲の別解答でもあると思っている理由です。

 

以上の事を踏まえるとOPテーマ壱雫空の「無色でもそこにあるもの」という歌詞の意味が見えて来ます。

my goの彼女達はそれぞれが異なる目的を持って、その目的を達成する為にバンドに参加していました。 しかしバンドを続けて行く過程で「目的以外の何か」に価値を感じるようになって行った訳です。

つまりこの「無色でもそこにあるもの」とは、「 バンドを続ける目的が無色になっても、その過程で得た価値のある何か」と言う解釈ができるようになります。

 

そう考えると虹ヶ咲とmy goのテーマは似ているようで実は「過程」の解釈が微妙に違う事が見えてきます。

虹ヶ咲における過程の解釈は「意識して紡いでいくもの」なのに対してmy goの過程の解釈は「勝手に紡がれていくもの」という違いがある事になる訳です。

 

つまりmy goという作品は、頑張った末に目的を失ったとしても、そこに残ったなにかは素晴らしいものだと肯定する物語だったのではないでしょうか?

これがmy go最大のテーマだと私は思いました。

 

そうなるとAve Mujicaが今後どうなって行くのかもなんとなく見えてきます。

色々な思惑が渦巻く中で急ピッチで出来たAve Mujicaというバンドも、活動していく過程で徐々に掛け替えのないチームになって行き、サキコの目的が破綻した後もAve Mujicaは続いて行くのだろう、という予想が立ちます。

 

最後に、

我々も生きていく中で「最初はこういう目的でやってたはずなのにどうして…」みたいな事って結構あるじゃないですか。それでもなんとなく続けちゃってる事って沢山あって、ふとした時に「何のために続けてるんだろう」ってなる事もあると思うんですよね。

それは仕事かもしれないし趣味かもしれない、はたまたアニメ制作なのかもしれません。

そんな想いを胸に今を頑張る人達を肯定する作品がmy goだったんじゃないかなと私は思っています。

 

だから安心して欲しい

私たちが目的を見失っても続けているそれは

きっと価値のある「無色でもそこにあるもの」なのだから。