ぴんぷくの限界オタク日記

オタク向け作品の感想やメモ

ハケンアニメ!感想、アニメとハケン、あるいは魔法と現実のジレンマ

ハケンアニメ、めちゃくちゃ面白かった。

と言うかまた泣き崩れて劇場に誰もいなくなるまで動けなくなってしまった…

せっかく持って行ったノートも最初の1時間くらいしかメモできなかったしなんなら涙で字が全然読めなくなってしまった。

映画館のスタッフにはまたしても多大なご迷惑をお掛けした事をお詫び申し上げます。

 

これはオススメできる作品と言うよりは絶対に見なければならない必修作品であると言う方が正しいです。

と言うのもこの映画を見て真っ先に思い浮かぶ作品がポンポさんだからです。

 

映画大好きポンポさん大好きぴんぷくさん的には完全に必修で、この映画の解答を見れた事は俺の人生の大きな一区切りとなった。

もし劇場で見ていなかったら一生後悔する所でした。危な過ぎる。ナイス幽霊。

 

では何故この作品が必修だったのかについてまずは話していこうと思います。

 

・「アニメは面白ければ売れるのか?」

この問題にポンポさんは向き合わなかったと言うのが非常に大きいです。ポンポさんでは「何故映画を作るのか?」と言う部分のみにフォーカスが当たっていた為映画を売れる様に作る為にはどうすればいいのか?と言う議論をすっ飛ばしたからです。

 

ユキシロが言うように「アニメは面白ければ売れると言うのはただの理想論」であり、現実は「視聴者に届けるとは、100方法を打って1届くかどうか」が紛れもない真実です。この問題に向き合う為にはアニメが面白いかどうか以外にやらなければならない事が無限にあり、それを重ねる毎にその知名度と引き換えに確実にアニメは呪われて行く訳です。

 

では何故こんな事になってしまうのでしょうか?

答えは明らかで「アニメ」と「商売」の相性が最悪も最悪だからです。

 

「アニメ」の本質は「客を信じること」です。アンチな客を振り切ってでもやりたい事を貫くことが重要です。 一方、「商売」の本質は「客を信じないこと」です。どんな客をも想定して相手に帳尻を合わせることが重要です。

アニメと商売の相性が悪い理由は他にも

「クオリティ」と「効率」だったり

「やり甲斐」と「労働力」だったりと

上げ始めればキリがないことはこの映画を見ていれば嫌と言うほどよくわかります。

この2つは常に攻めぎ合い、お互いの正論に殴られながら共倒れして行く関係にあるのです。

そしてこの「アニメ」と「商売」の相性が悪いと言う真実は何もこれに限った話ではありません。

 

我々の人生そのものと全く同じです。

アニメを作りたいとは言わないまでも、人にはやりたい事が沢山あるはずです。しかし現代の資本主義社会では商売なしに生きて行く事は絶対に不可能です。

この2つの攻めぎ合いは我々が一生を懸けて向き合い続けなければならない人生と言う名のアニメ制作なのです。

 

・「商売」に絶望する子供達

ハケンアニメではこの「アニメと商売のジレンマ」とも呼べる構図を「魔法」と「現実」と言う構図に姿を変えて現れています。

「魔法なんてないんだよ」と言う子供時代のヒトミと「アニメなんて全部嘘じゃん」と言うタイヨウ君、この二人が抱えている問題は全く同じです。腐った大人達が見せる「現実」と言う名の商売に汚れた見せかけの魔法は彼らの魔法のステッキを折ってしまったのだ。こうして新しい腐った大人がまた一人、また一人と増えて行く。これがこの世界の理なのだろう。なぜなら一般的に「大人になる」とは「魔法のステッキを折り、商売とも呼べる現実を生きる事」に他ならないのだから。

 

しかしそんな絶望から子供達を、腐った大人達を救おうとする者がいた。それがオウジです。

オウジは「現実逃避するのではなく、この現実世界を生き抜く為の力として、俺の作品を必要としてくれるなら、そいつは俺の兄弟だ」と言う。

かくして「オウジのアニメ」と言う名の汚れなき魔法はヒトミ届き、現実に絶望した一人の少女を救った訳です。

 

しかしこの物語はここから始まる、魔法信じたヒトミはオウジと同じ道を目指すもすぐに壁にぶち当たります。それがユキシロです。ヒトミが徹底的にアニメ側(魔法側)なのに対してユキシロは真っ向から商売側(現実側)です。

彼らの対立構造は見るに耐えない程に殴り合い、共倒れしてしまうのです。この無限ループが「アニメと商売のジレンマ」の本質と言う訳です。

じゃあどうしろって言うんだよ…

 

・この世界に魔法はあるのか?

一方その頃オウジはと言うと、ヒトミに魔法を与えた様にまた人々に魔法を与えているのかと思えばそうではありませんでした。オウジもまた「魔法と現実のジレンマ」にぶつかっていました。

なんと天才監督オウジとは見せかけに過ぎなかったのです。ハワイと言う名の優雅な魔法など実はどこにもなく、そこにはドンキホーテと言う名のやっすい現実が建っていたのだった。

オウジの魔法に嘘はなかった、しかしオウジの魔法は偽物だったのです。

オウジはインスタもTwitterもチェックするし、プレッシャーで押し潰されそうになる様な繊細な奴だったのです。

豪華でキラッキラの変身バンクは魔法なんかでできていない、その裏にあるのは血反吐を吐きながらアニメを作るオウジの狂気です。

 

ここでハッキリしたのは魔法で現実を100%打ち消す事は不可能だったと言う事です。

だからヒトミはユキシロのやり方に屈するし、オウジは主人公を殺す事はできないのです。

残念ながら魔法には限界があると言う事実は火を見るより明らかだろう。

これがハケンアニメ最大の主題であり我々が絶対に乗り越えなくてはならない問題と言う事です。

なぜならアニメが商売に飼い殺されていると言う事実は我々の人生と同じだからです。

会社に操り人形にされ、やりたい事もできずに、やりたくもない仕事を毎日こなし続ける我々の人生は本当にこのままでいいのだろうか?

 

ならばどうすればいいのだろうか?

ここからその回答編がはじまります。

 

 

・「現実」は、「商売」は、敵なのか?

最初のヒントはスタンプラリーおじさんです。ここでのスタンプラリーおじさんの役回りは完全に「現実」(商売)サイドであり、なんなら「リア充」と言い切られて敵視されてしまう程露骨に「アニメ」サイドが妥当すべき存在です。しかしそんな彼の「商売」の事しか考えていないかに見えた行動は実は資本主義の為ではなくアニメの為に一生懸命考えた行動だった事が明らかになります。

 

ここは明確な転換点で、今まで100%対立構造となっていた「アニメ」と「商売」が初めて対話した瞬間だった訳です。

これが殴り合って共倒れするだけだったはずの関係性の突破口となります。

 

「私達って誰と戦ってるのかな?」

これは劇中アニメのセリフです。

なるほど確かに、今まで敵だと思っていた「商売」が「アニメ」の為に行動してくれているのだとしたら。

敵ではないのだとしたら。

私達の敵とは一体誰だったのだろうか?

 

そこからは大きな壁が突然なくなったかの様に話が進みます。

客寄せ声優のタカノは夜な夜な練習してる上に「日本一の客寄せ声優になってやる」とか開き直るし、伝説の進行はアニメーターに土下座するのだ。

 

ここまで見れば誰でもわかる。

この土下座は資本主義の為の土下座なんかじゃない、「商売」為でもない、

魔法を子供に届けたいヒトミの為の、

血反吐を吐いてアニメを作るオウジの為の、

本気の土下座なんだ。

 

ならば「アニメ」もそれに応えなければなるまい、徹夜がなんだ?やり甲斐摂取がどうした?

今立ち上がらなきゃ、今こそ力を合わせなきゃ、俺たちは一生平行線なんだ。

これが「俺たちが伝説を壊す訳には行かないんだ。」

と言うセリフに隠された本音です。

 

こうして「商売」が「アニメ」に寄り添った事によって「アニメ」もまた「商売」に寄り添う準備が整った訳です。

当然こうなってはオウジも「商売」の為に何か寄り添わなくてはなりません。だからオウジは主人公を殺す事を辞めた訳です。それでも自分が納得できる最高の形で最終話を完成させたと言う訳です。

 

・本当の敵は誰だったのか?

そしてヒトミはキレます。

なぜならもう「アニメ」と「商売」の間に壁なんてないのだから。お互いがいい物を作る為に自分の仕事をする。その為にお互いが譲歩し合い、寄り添う。

ここにまだ「アニメ」と「商売」に壁を作っているじじいが2人いる。今ならわかる。こいつらこそが悪だ。だからキレた。だから許せなかった。

なぜならそれは…昨日までの私なのだから。

 

ならば全てが反転する。

ユキシロは最初から敵なんかじゃなかったのだ。何故なら作品を呪って打ち出した100の広告は、1つだけちゃんとタイヨウ君に届いていたのだから。

 

そして何故ハケンアニメと言うタイトルだったのかも今ならわかる。「アニメ」には「商売」が必要なのだ。売れなくてもやりたい事がやれればそれでいいなんて嘘だ、続かなければならない。

何故ならこれは我々の人生でもあるのだから。どれだけやりたい事をやる人生を送ろうともお金だけは稼がなければ生きてはいけない。やりたくない事もやらなければならない。しかしやりたい事をやる上でついて回るやりたくない事を敵視する態度は間違いだ。

それを支えるもの達は間違っても敵などではない事を絶対に忘れてはならない。「アニメ」は「ハケン」でなくてはならない理由があるのだ。

 

倒すべきは「現実」でも「商売」でもなかった。ジレンマなんて最初からなかったんだ。

本当の敵は

こんな事で意地になって本質を見ていなかった

私の事だったんだ。